大阪高等裁判所 昭和44年(う)576号 判決
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〔判決理由〕そこで、被告人の過失を否定した原判決の当否を検討するに先立ち、まず事故当時における本件交差点およびその付近の状況をみるに、原審および当審で取り調べた証拠によると、それは次のとおりである(本判決末尾添付の図(一)参照)。すなわち、本件交差点は、大津市皇子か丘方面から同市所在の紅葉館旧館へ通じる市道と同市浜大津から滋賀県高島郡今津町を経て福井県に通じる国道一六一号線とが直角に交差している部分である。右市道は、交差点付近でほぼ東西に通じ、平坦でアスフアルト舗装が施され、車道の幅員約7.5メートルである。他方、右国道は、交差点付近でほぼ南北に通じ、平坦でアスフアルト舗装が施され、車道の幅員は交差点南側が約11.1メートル北側が約10.9メートルであり、中央線によつて南行・北行各一車線に分けられ、各車道の幅員は交差点南側についていえば北行約6.6メートル、南行約4.5メートルである。そして本件交差点では交通整理は行なわれていないが、市道を西方から交差点に入る車両に対し交差点入口に一時停止の標識が設けられている。ところで、当時国道北行車道上には交差点入口から南へ約一五メートルの地点に車首を置いた大型観光バスが駐車し、その車体右側線と国道の中央線との間隔が約2.5メートルに過きないほどに北行車道を塞いでいたため、市道を東進して交差点に入る車両(被告人の車がこれにあたる。)からは、国道を北進して交差点に入る車両(川端車がこれにあたる。)に対する見とおしは極めて悪かつた。
次に、被告人の車と川端車とが接触するまでの両車の進行状況と相互の覚知状況について検討する。
この点について、被告人は、事故直後に実施された司法警察員の実況見分の際以来終始次のとおり供述する。すなわち、自分は、前記市道を東進し本件交差点の手前にさしかかり道路標識に従つて①(本判決末尾添付の図(一)に示した①地点をいう。以下これにならう。)で一時停止した後、発進して時速約五キロメートルで交差点に入り、そのままの速度で右折しながら国道北行車道上を進んだが、その間まず左(北方)を見て南進して来る車両のないことを確認したうえ、さらに目を右に転じようとしたとき、クラクシヨンの音が右方から聞えたのでハッとして右を見たところ、既にに川端車が来ていた。そのときの自分の目の位置――自車の運転席――は③であつた(被告人の当公判廷での供述参照)。そこで、自分は、とつさに急ブレーキをかけたが、及ばず自分の目の位置が④に到達した際×で自車の左前端部に川端車の左側が接触し、川端車は暴走して行つた、というのである。
他方、川端は、前記実況見分の際以来次のとおり供述する。すなわち、自分は、前記国道北行車道を時速約六〇キロメートルで北進していたが、同車道上には前記観光バスが駐車していたし、折柄対向車もなかつたので、進路を国道中央線上に転じたうえそのままの速度で進行し同バスの右側にさしかかつたとき、②のところに右折しようとして頭を出しかけて来た被告人の車を発見したので、クラクシヨンを一回鳴らした。自分は、相手車が当然自車に気づき停止してくれるものと思い同一速度で進行したところ、相手車は止まらずそのまま国道上に出て来たので、危険を感じ、で自車のハンドルを右に切り急ブレーキを踏んだが、及ばず、×で自車の左前部付近が被告人の車の左前部付近に衝突し、自車は暴走した、というのである。
ところで、被告人および川端の右各供述によると、まず川端は右折しようとしている被告人の車を発見するや直ちに警笛を吹鳴し、これを聞いた被告人も直ちに右に目を転じて川端車を発見したこととなり、従つて、被告人が川端車を発見したのは川端の被告人発見時よりいくらか遅いこととはなるが、しかし、常識的には瞬時といつてよいであろう。であるのに、両供述間には各発見時の彼我の位置(ひいてはその距離関係)について大きなくい違いがあり、そのいずれを採るべきかにわかに断定しがたいのみならず、各供述自体いずれも全面的には信用し難く、特にこのことは川端供述において顕著である。すなわち、原審で取り調べた証拠によつて明らかなように、被告人の車の左前車輪のスリップ痕は国道の中央線上にまで達しているところからして(昭和四三年九月一九日付実況見分調書参照)、同車は左前車輪の接地点が右中央線上に至つた地点で停止したと考えられること、および両車の接触または衝突によつて被告人の車の位置が変移した形跡がないことに照らすと、被告人の車の停止と同時またはその直後に川端車が被告人の車の左前端部に接触したものと思われる(その状況からみて衝突というより接触というほうが適切であろう。)。ところで、川端は自車がにさしかかつたとき被告人の車が右折しようとして②のところに頭を出しかけて来たという。そして、右はその際の川端の目の位置(運転席)を、また、②は被告人車が右折しようとしていたというのであるから同車の左前端をいつたものと考えるのが相当であろう。ところが、証拠上明らかであり訴因自体もいうように当時被告人は時速約五キロメートル(秒速約1.4メートル)という微速で進行していたのであるから、その車首左前端が②から接触地点×まで達する距離約4.9メートル(以下距離その他の計測数値は原審および当審で取調べた証拠によつてすべて明白なものである。)を進行するには、急停車措置による減速効果を一応無視しても、約3.5秒を要するところ、川端車についていえば、×間の距離約16.4メートルに(運転席の位置)から同車の最後尾までの距離約1.92メートルを加えた約18.32メートルを時速約六〇キロメートル(秒速約16.7メートル)で進行するのに僅か1.1秒弱で足り、被告人の車が×に達するより先に川端車は二秒強(これを距離に換算すると三〇メートルを優にこえる。)の時間差をもつて通過し去ることとなり、接触の可能性は全く考えられない。他方、被告人は、前記のように、自車の運転席が③に至つたときに来ていた川端車を発見したという。右にというのは川端車先端の位置を述べたものと解するのが相当であろう。ところで、×間の距離は証拠上これを明確にし難いが、③間の距離が約6.8メートルであることとその後の両車の進行状況とからみて、×間は右③間の距離をこえないことは十分に推測される。そこで、×間を最大限6.8メートルと仮定すると、これに川端車の車長約3.82メートルを加えた約10.62メートルを川端車が時速約六〇キロメートル(秒速約16.7メートル)で進行するのに要する時間は約0.63秒であり、その間時速約五キロメートル(秒速約1.4メートル)で進行する被告人の車は僅かに約九〇センチメートルを前進するに過きないこととなる。すなわち、川端車の最後尾が×を通過しようとした時点では、被告人の車の運転席は×から約2.4メートル手前にあり(③×間は約3.3メートル)、同車の運転席と左前端との距離約1.55メートルを考慮に入れてもなお接触の可能性はない。
右のとおり被告人および川端の供述はいずれも全面的には信用できず、他に両車の進行および接触の状況を目撃した者を発見しえない本件においては、結局、現場に残された被告人車のスリップ痕等動かし難い情況事実る基礎とし、かつ、被告人および川端の供述についても右情況事実に符合する部分についてはこれを判断の資料に加えるなどして、事実関係を想定するのほかはない。しかも、本件においては、客観的事実を明確にするための最も重要な資料である前記実況見分調書(特に添付の現場見取図)の記載が果して真実を再現したものかどうか(いいかえると、例えば右見取図は正確に縮尺を用いたものかどうか、また、スリップ痕の図道中央線に対する角度を正確に表現しているかどうか)など疑問なしとしないし、その他証拠上明確を欠く部分については、一応高度の蓋然性を持つと思われる事実で補なうのほかはなく、また、その事実の選択にあたつては、経験則に反しないかきり、刑事裁判の本則に従い被告人に有利なようにこれを行なわざをえない。そこで、右前提のもとで、被告人の目の位置(運転席)および被告人の車の左前端がそれぞれ前記駐車中の観光バスの右側線の延長線をこえた付近から川端車との接触に至るまで移動したときの軌跡を推測すると、大要、本判決末尾添付の図(二)のとおりである。この図面は、(1)被告人の車の左前輪スリップ痕は長さ0.8メートルで国道中央線上で終わつており、左後輪スリップ痕は長さ0.5メートルで右中央線の西方2.3メートルの地点から始まつていて、左後輪スリップ痕終点と左前輪スリップ痕起点との距離は2.6メートルであること、(2)両車の接触地点は国道中央線の東方0.6メートルの地点であること、(3)接触時に近接する時間帯における被告人車はほぼ北西から南東に向け直線に進行したこと、(4)前記観光バスは国道中央線に平行して駐車していてその右側線と中央線との間隔は2.5メートルであること、(5)被告人の目の位置(運転席)から車首正面までの垂線の長さは0.97メートル、被告人の目の位置から車の左前端までの距離は1.55メートル、左前輪タイヤの接地点から車首最先端の延長線に垂直に下ろした線の長さは0.97メートルであることを基礎として作図した。そして、図(一)との関係においては、図(二)においても、被告人が初めて川端車を発見したときの自己の目の位置という③の地点を同じく③の記号で、接触時における自己の目の位置を④の記号で、さらに接触地点を×の記号でそれぞれ表示した。他方、図(二)においては、被告人の目の位置が前記駐車中の観光バスの右側線の延長線上に達した地点を、被告人車の左前端が同延長線上に達した地点をとそれぞれ表示した。
そこで、図(二)についてみるに、被告人が川端車を発見し、急停車措置をとつた地点が③であるとすると、その際の被告人車の左前車輪の接地点(③よりと×とを結ぶ直線に垂線を下ろしてこれと交わる点)は、同車輪のスリップ痕の起点より約1.4メートル手前に位置していたことになり、その間の距離をそのままいわゆる空走距離とみることには被告人車の時速が約五キロメートルに過きなかつたことからしていくぶんの躊躇を感じる。しかしながら、図(二)は前叙のごとき想定のもとでなされた作図に過きず、そこでは当然誤差の生じることは予想されるし、時速五キロメートルで進行する自動車の標準空走距離が一メートル前後であることをも考慮すれば、③の地点で川端車を発見し直ちに急停車措置をとつたという蓋然性も十分あつて、その旨の被告人の供述は一概は排斥することはできない。もつとも、被告人は③で川端車を発見した際同車は既に自車の右方約6.8メートルのに来ていたというのであるが、この供述との関連について考えてみると、一般に自動車運転者は走行中のある時点における自車の位置や相手車の位置を後刻説明する場合、自車が低速であるかきり、比較的正確に自車の位置を指摘しうるが、相手車の位置(ひいては自車との距離)については、相手車が高速であればあるだけ不正確にしか想起しえないものと考えられるところ、この観点からすれば、被告人が③において右方約6.8メートルのにある川端車を発見したとの供述も、川端車の当時の速度に徴し、被告人は同車が高速で驀進接近して来るのを発見して驚いたあまり同車の位置を正確に把握できず、至近距離に来ていたものと思い誤つたと考えられる。従つて、この川端車の位置、これと自車との距離に関する供述の不正確さの故をもつて、同車発見時における自車の位置に関する被告人の供述についてまで信用性なしということはできない。そうすると、右③の現実に被告人が川端車を発見した地点とすなわち被告人として前記観光バスより遠方にある国道北行車道上の車両に対して発見可能となつた地点との距離は約四〇センチメートルに過きず、時間にして約0.28秒という微少なものとなる、そして、被告人の目の位置が③にあるときには、被告人車の左前端は既に③すなわち国道中央線の手前約六〇センチメートルのところまで進出していることとなり、その時点における川端車の位置は、両車の速度や接触状況から推測すると、接触地点×より約二五メートルまたはそれよりやや遠い地点であつたと思われるのである。そこで以上検討の結果によると、被告人は時速約五キロメートルで徐行右折中右方への見とおしが可能となつた地点を過きた直後に右方を注視して川端車を発見し、直ちに急停車の措置をとり自車を停止させたという蓋然性が十分にあることに帰し、これを前提とする限り、被告人の運転操作には何ら責むべき点はないといえる。
他方、川端車からすると、同車の進行して来た国道北行車道上には大型観光バスが前記の状態で駐車していたのであるから、川端車としては、通常右バスの相当手前から国道中央線寄りに、いいかえると、中央線から約2.5メートルの範囲内を北進していたものと考えられるが(これに反し、もし川端車が中央線より約2.5メートル以上西側を――従つて、駐車しているバスのため前方注視が困難な状況で――北進して来て、バスの最後尾付近で突如中央線寄りに進路を変えたと考えると、当時同一車道上を先行または並進している車両はなかつたのであるから、その運転方法自体無謀というほかはない。)、そうだとすると、川端としては、被告人車の左前端が図(二)のをこえたころから同車を発見しえたはずである。それは被告人の川端車発見可能時点より相当早く、両車の進行状況および速度を基礎とし図(二)によつて推測すると、川端が前方注視を怠らない限り、計数上、同人は接触地点×より約六〇メートル手前にさしかかつたころ被告人車が右折しようとしているのを発見しえたはずである。ところが、実際には、前説示のとおり、同人は、被告人が川端車を発見するのとほとんど同時に、被告人車を発見しているのであり、その時には既に川端車は前記のごとく×の手前約二五メートル付近にまで接近していたのである。この点においてまず川端は前方注視義務違反を責められねばならない。さらに、川端が被告人車発見の際には、前説示のごとく既に被告人車は右折しようとしてその左前端を国道中央線から約六〇センチメートル付近のところまで進出させ川端車の進路を塞ぎつつあつたのだから、川端としては、折柄南行車道上には対向車両等進行の妨げとなる物がなかつたこととて、さらに深く右に転把して進行する等の方法により容易に被告人車との接触を避け、ひいては本件事故を回避しえたのである。この点においても川端には運転操作を誤つた過失があるといわざるをえない(なお、川端は、被告人車を発見したときの自車の位置は接触地点×の手前約16.4メートルのにあり、その際被告人車の左前端は×の手前約4.9メートルの②にあつたというが、その供述の信用し難いことは既述のとおりであり、これはみずからが高速で進行していたため、川端としては、相手車発見という瞬時において相手車の位置はもとより自車の位置をも正確には把握できなかつたものと思われる。)。
してみると、本件事故については、川端に過失のあることは明らかであるが、他方、被告人としては、これまで説示して来たように、川端車の発見が特に遅れたともいえないし、その発見後の措置についてもこれを非難するには多分に疑問が存するものといわざるをえない。
なお、所論は、被告人は右方に対する見とおしが可能となつた地点(図(二)のをこえた瞬間をいうのであろう。)で一時停止し右方を注視し安全を確認したうえ右折を継続すべきであつたのに、一時停止を怠つて進行を続けたため本件事故を惹起したのであつて、この点において被告人にも過失があるという。しかし、前叙のとおり、被告人が右方可視地点に至つた際にはその車の左前端は既に国道中央線の約六〇センチメートル手前まで迫つているのであり、他方、右方から北行直進して交差点に入つて来る車の運転者はかなり早くから(被告人車の先端がをこえたころから)被告人車を発見しうるのであるから、被告人としてに北行直進車の正常な運転を信頼しつつ、その正常運転を妨害しない程度に徐行しつつ右折進行を継続すれば足り、前記のように前方注視義務を怠り被告人車発見後も他に特段の事情もないのに被告人車との間に余裕を持たせようとの配慮をもしないであたかも被告人車の直前をすり抜けるような状態で高速進行する川端車のごとき車のあることをまで慮つて一時停止する義務はないといわざるをえず、所論は前提を欠き採用できない(本件事故当時における現実の状況からして、法規上の優先通行権がいずれにあるかということは右の結論を左右するものではない。)。
そして、さらに所論にかんかみ記録を精査し当審での事実の取調べの結果を検討しても、叙上判断をくつがえすに足る資料はないから、これと同一の結論を採り被告人に対し無罪の言渡をした原判決は結局正当であり、論旨は理由がない。(河村澄夫 吉川寛吾 村上保之助)